ヒット曲の歴史に迫る→形式の研究

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JPOPの形式の歴史

ここではJPOPの形式の歴史について見ていくことにする。
はじめに:形式とは何か

形式とは曲の構成要素がどのような順序に並んでいるかを示すものである。
サビという言葉を聞かれたことがある方も多いと思う。これは曲の中で一番盛り上がる部分である。1つの曲はサビのようにいくつかの構成要素を組み合わせて作られている。
形式には2種類ある。一つは1番の中がどういう構成要素になっているかであり、もう1つは曲の全体がどういう構成から成り立っているかということである。1番の中の構成はいくつかの変遷を経てきているが、ほぼ1970年代の半ばで現在の形になった。一方1曲の中の全体の構成はさらに進化して、1980年代になって現在の形になった。

1−1、1番の中の構成

1番の中の構成要素としてはAメロ、Bメロ、サビなどと称される8小節を基本とする構成要素がある。いわゆる平歌と呼ばれるAメロ、Bメロと、歌の中で盛り上がりの部分であるサビと呼ばれる部分の2つがある。
 以下本書ではAメロをA、BメロをBサビのことをB、サビのことをSと略し、例えばAメロ→Bメロ→サビと進行するような形式ならABS形式と略して記す。
 戦後最初にあったAB形式が1960年代中盤まで基本としてあった。もともと演歌系の形式であるこのAB形式はポップスにも入ってきたのは自然の流れと言えよう。これに変わったのがASA形式であり、1960年代後半から70年代中盤まで続いた。続けて現在にまで続くABS形式が主流となっている。ASA形式は現在でも極めて少ないながらも存在しているが、後に示すように近年では多くても10%を切っている状況であり、ほとんどの年でベスト50に1曲あるかという位の状況である。一方AB形式も現在ではAS形式という形はあるものの、基本的に現在は少なくなっている。AB形式からASA形式への変化については、筆者がリアルタイムで聞いていない時代であり、いまだに詳細はわからず、今後の研究を待ちたい。一方70年代以後に起こったASA形式からABS形式への大変革は急激に起こったものであり、以下にその詳細について書いていくことにする。

戦後  Aメロ→Bメロ
  戦前よりある形式としてこのAメロとBメロを組み合わせて1番を構成する歌がある。(以後略称AB形式)まだサビというよりも異なる2つのメロディーをくっつけた形に近く、AメロのインパクトとBメロのインパクトが均衡しているイメージである。歌の最も盛り上がるポイントである、最高音の存在する場所もAメロにある場合とBメロにある場合とに別れる。
並木路子のリンゴの唄、藤山一郎の青い山脈などポップス、演歌を含めてこれがまず基本としてあった。
 
1950年代?  サビのある歌の登場
  サビとは歌の中で一番盛り上がる部分である。元々のAB形式では、歌を盛り上げるという意識がほとんど無い。しかしながら戦後高度成長とも同期してか、歌においても盛り上がる部分がだんだんと作りこまれるようになってきた。盛り上がりの手法としては、やはり高音を連続して使うというのが大きい。高音を使うことによって張り上げて歌う形にすると、歌う方も気負って歌い、それがまた情を込めることともあいまって、聞く側に対してもインパクトを与えるのである。ただ、この変化は急激というよりも徐々に進行してきたように思える。
形式的に言うと、元々のAB形式においてあったようにAメロとBメロのインパクトが均衡している状態から、Bメロが強くなる方向に行く方向で進化していった。逆のケースも70年代初めまではあったが、進化としては主としてBメロがサビになるような形で進んだ。
元々のこのようになっていった狙いとしては、盛り上げるというサビの役割とともに、盛り上がるサビを盛り上がるように見せるためのAメロの存在がある。すなわち盛り上げるためのAメロという平歌と、盛り上がるサビという対比関係がここでできたということである。AB形式において、それまで同等であったAメロとBメロに対し,穏やかに歌うAメロと激しく歌うサビという2つの異なる構造が持ち込まれたことになる。そのためサビを盛り上げるためのAメロの存在、逆にいうとAメロは盛り上げてはいけないというロジックができたのである。
ここに一部歌詞もからんでおり、現在はほとんどそのような対応は無いが,Aメロに情景描写の歌詞を当て、サビに心情描写の歌詞を当てるという手法がでてきた。当然情景描写は客観的に見るわけであるから、淡々と歌い、心情描写部分は自分の思いを込めて歌うことになるから、情をこめて、強く伝えるというサビとマッチするわけである。
1959年の第一回レコード大賞の水原弘の黒い花びらにはすでにBメロに相当するところがサビのように盛り上がるようになっていることから、このころ既にこの手法がでてきていたと考えられる。

1960年代 Aメロ→サビ→Aメロ
  1番の形式として、次に登場してくるのが、Aメロ→サビ→Aメロという形式である。(以後ASA形式と略す。)平歌であるAメロで終わるので、一番最後が静かに終わっていくような歌が多い。この派生形として最後がAメロとは少し異なるメロディーになって最後だけ高い音を使ってちょっと盛り上がって終わるような曲もある。
   またサビの部分のインパクトが弱い現在のBメロに近いものも多い。
 もともとアメリカの歌のカバーから来た江利チエミの1952年のテネシーワルツから始まりいくつか以下に例をあげる。
  1962年 橋幸夫 吉永小百合のいつでも夢を
  1968年 黛ジュンの天使の誘惑 
         いしだあゆみのブルーライトヨコハマ
 この形式はこの後書くように、1975年〜1976年の間で急激に廃れる。
 その後80年代以後ASAの形式は少ない。主な曲をピックアップすると以下のようになる。
   1980年 田原俊彦 ハッとして!Good
   1982年 松田聖子 赤いスイートピー
   1983年 上田正樹 悲しい色やね
   1984年 欧陽菲菲 ラヴイズオーバー
          わらべ もしも明日が・・・。
          薬師丸ひろ子 メイン・テーマ
   1986年(以後何度もヒットしているが) 山下達郎 クリスマス・イブ
   1987年 小泉今日子 木枯らしに抱かれて
   1991年 チューブ さよならイエスタデイ
   1992年 Wands もっと強く抱きしめられたなら
   1996年 今井美樹 PRIDE
   1997年 大滝詠一 幸せな結末
   1998年 竹内まりや カムフラージュ 
          鈴木あみ White Key
   2002年 ストロベリー・フラワー 愛の唄?ピクミンCMソング
   2004年 ポルノグラフィティ シスター
   2007年 aiko シアワセ

1970年代中盤 ASA→ABS形式へ大変革
 その後に台頭してきたのがAメロ→Bメロ→サビという形をとる、いわゆるABS形式である。
  図1−2のグラフは1970年代中盤の主要JPOP曲の中で、サビのあとにAメロがある比率とBメロがある比率を調査したものである。このように、ASA形式が主流だったのが、ABS形式に1975年→1976年にかけて大変革が起こった。このグラフからわかるように、その後現在に至るまで傾向が変わっていないことがわかる。80年代中盤以後はおおむね8割の曲でBメロが存在するABS形式(またはそこから派生したABABS形式)となっている。
ABS形式の特徴はなんと言ってもサビで終わることである。このサビで終わるということが、他にも様々な形式に影響を及ぼしてくる。たとえばサビで終わることにより、最後にサビを繰り返し、非常に盛り上げて曲を終わらせることが可能になったこと等である。

図1−2 サビあとにAメロがある曲とBメロがある曲の比率

 もう一つの特徴としては、Bメロが新たに入ってきたということである。このBメロはAメロとともに平歌として捉えられ、サビを盛り上げる役割と担うのだが、典型的なBメロはサビにつなげていくということが強く意識されるような作りになっている。つまり盛り上がるサビに向けて、メロディーも低い音から高い音に使い方が徐々に高まっていくのと、歌を歌う気持ちがシンクロされていき、サビにつなげていくという手法である。
さらにメロディー的にもAS形式やASA形式の多かった70年代初めには、昔のAB形式の時の対等の関係であった名残で、Aメロの終わりはキーがCであればC、AmであればAmで終わる形が多かったのに対して、より対比という意味で盛り上げにつながるという意味が発達して来て、キーをCとした時のG、AmとしたときのE7といったコードをサビの前に持って来て, サビ前に2小節など長い音を伸ばして使うと言ったメロディーが使われるようになってきた。これによりサビにつなげるという意識がより強く働くようになり、これから盛り上げるということを聞く側に予感させることができるようになった。
これは現在まで使われている手法である。

1980年代以後 ABS画一化の進行
   このように1975年→1976年にかけてABS形式への大変革が起こったのだが、1975年次点ではまだ様々な曲の形式が存在していた。図1?3にどのような形式が存在したかという形式ミックスを年代順に見ていったグラフを示す。
 これを見ると1980年頃までは様々な形式の曲がまざりあって存在していたのが、結果的にABS形式ばかりが増えて、近年ではABS形式およびその派生であるABABS形式にほとんど席巻されている状況がわかる。わずかに残るAS形式はかなり昔から存在するシンプルな形式構成が頑張っているという感じである。
 


                    図1−3 曲の形式ミックスの変遷

 このように構成の画一化が進んでいる中でも若干の揺れがある。この中の例を見ていく。

2001年 Bメロの短い曲が急増
  2001年になり、曲の形式にいろいろ変化の兆候が見え出した。
  まずはBメロの無い曲やBメロの短い曲が目立つようになってきた。いちばん先べんを切ったのは2000年秋のSMAPのらいおんハートで、通常は8小節あるBメロが4小節しか無く、革新的な感じがした。
  その後も2001年にかけてBメロの短い曲が目だってきた。
   またBメロの無い曲も目立ってきた。
  2000年から慎吾ママの慎吾ママのおはロック等あったが、 2001年に入って浜崎あゆみのNEVER EVER、Kinki Kidsの情熱、GLAYのSTAY TUNED、CHEMISTRYのPoint of No Returnなど、明らかにBメロ無しの作りをねらっている曲もでてきた。
  特に2001年秋にはこの傾向が非常に顕著で、たとえば
    後藤真希の溢れちゃう...BE IN LOVE 、GacktのANOTHER WORLD、
  GLAYのひとひらの自由、矢井田瞳のBuzz style、ポルノグラフィティのヴォイス
  など立て続けに現れている。
  下図は2001年後半を中心としたBメロの短い曲の割合をグラフにしたものである。このグラフを見てもわかるようにこの傾向は2002年後半に入って元に落ち着いた。


   この後2001年以後は特に目立った変化は少ない。

1−2、1つの曲の中の構成の変遷

 1つの曲の中の構成の変遷としては、演歌系は3番まである曲が多いが、ポップス系はほぼほぼ2番までというのがお決まりのパターンである。これ自体はずっと変わっていない。さらに2番のサビの繰り返しがあるというのが、非常に基本的なパターンである。これをもう少し歴史的に見てみることにする。

1960年代 1番→2番
   1番 → 2番 
  基本的なまだJPOPと言う名前は無かったものの、ポップス系の曲はこのパターンが多かった。
  (注:この頃まだまだ健在だった演歌は3番まであるパターンが一般的であった。)
  1970年代前半までには、まだ1番と2番サビしかない曲(例:1973年 沢田研二の危険な二人等。)もあった。全般的には曲の長さも2分台〜3分台で4分台の曲は珍しかった。

1970年代 1番→2番→2番サビ繰り返し
 今のJPOPの基礎となるような 基本的なJPOPはこのパターンが多かった。
  (注:この頃まだまだ健在だった演歌は3番まであるパターンが一般的であった。)
  これが定着してきて、1970年代の後半には曲の長さは3分台?4分台のものが多くなってきた。

1980年代前半 CodaCメロ部分のある曲の登場
 この曲の構成としてプラスαの要素として加わったのがCodaCメロ部分のある曲の登場である。CodaCメロとは2番のあと、あるいは2番の後の間奏に続いて、8小節程度の全く違うメロディーが出てくることを指す。ここは譜面上ではCodaというマークで別のところに一度飛び、今までのAメロでもBメロでもサビでも無いので、本書ではこれをCodaCメロと呼ぶ。
   この部分は後のJPOP7つの謎のところでも書くように、ビートを抑えて演奏されることも多い。
 このためCodaCメロのある曲の全体の形式は
  1番→2番→Coda部分→2番サビ繰り返し
という形式になった。
このためと他にイントロや間奏が長くなったことに伴い、曲の長さがこの頃から4分台から5分台と長くなってきた。
  しかし全部がこの形式になるわけではない。特にrpm(1分あたりの拍数)が遅いバラード系の曲をこの形式で作ると、必然的に長い曲になってしまうからである。例えば2000年MisiaのEverythingはバラードで遅いrpmでこの形式を取っているため、7分にもなる超大作になっている。余談だが、このようなバラード系の曲は、最近の曲であっても、1番2番2番サビ繰り返しのような単純な形式で、5分台の順当な長さを抑えることが多い。
図1-4にCodaCメロのある曲の比率の年代別の変遷のグラフを示す。これを見るとわかるように、1970年代後半から少しずつ出てきて、1983年〜1984年頃にかなり一般的になってきた。注目すべきは、まだ現在に至るまで少しずつではあるが単調増加傾向を示していることである。中には半数を超える楽曲がこの形式になっている年も出てきており、特に2007年は多くなっている。

                      図1-4 CodaCメロのある曲の比率

ここでは、まず初期のCodaCメロがある曲をいくつかピックアップしてみる
 
事例研究1 こんにちは赤ちゃん 梓みちよ 中村八大作曲 1963年11月発売
 昔の曲だが、2番の後すぐにCメロが入る。この後3番もあることから今の形とは異なり、異なるメロディーが挟まっているという形式。

 
事例研究2 ひとかけらの純情 南沙織 筒美京平作曲 1973年12月5日発売
 2番のサビのあとに続けて違うメロディーのCメロが入り、その後サビが再び入り、サビは繰り返してフェードアウトで終わる。Cメロ部分はおとなしめのメロディーからだんだん盛り上がってサビに続くなど、極めて現在の構成法そのものである。

 
事例研究3 ロマンス 岩崎宏美 筒美京平作曲 1975年7月25日発売
 この曲は元々非常に複雑な形式だが2番のBメロの後に間奏が入ってそのあと歌詞でいうと「まるで今の私 迷い子のようね」のところにCメロが入り、そのサビを繰り返しながらフェードアウトして終わる。このように別メロディーではあるが、2番のBメロとサビの間に趣向を変えて入っているとも言え、現在のCメロとは少し異なる。
 

 
事例研究4 ドリーム 岩崎宏美 筒美京平作曲 1976年11月5日発売
 これも岩崎宏美の曲であるが、2番のサビのあとに4小節だけ異なるメロディーのCメロが入り、間奏の入ったあとBメロサビと続いて終わる。この曲も現在のCメロとは若干異なる。

 
事例研究5 モンキーマジック ゴダイゴ タケカワユキヒデ作曲 1978年12月25日発売
 2番の後に出てくるCメロは全く別のメロディーになるが、これもその後Aメロから始まる3番が控えていることから、現在のCメロとは趣きが若干異なる。

 
事例研究6 September 竹内まりや 林哲司作曲 1979年8月21日発売
 1番はAメロ2回(Aメロ→Bメロを2回とも取れる)→サビ、2番もAメロ(またはAメロ→Bメロとも取れる)→サビの直後にCメロが入り、半度転調で上がってサビがあり、その後間奏があってサビをスキャットで歌いフェードアウトする構成である。 Cメロの前後ともサビで、つながるところに間奏は無いが、ほぼ現在のCメロに近い形式になっている。。

 

 このあと1980年代前半で、この手法はだんだんメジャーになっていくが、1984年?1985年頃にはかなり目立つようになってきた。特に現在までつながるCメロまたはその前後を静かに抑え目の演奏なり、リズムセクションのみの演奏、あるいは逆にリズムセクションを抑えて和音系のシンセサイザーやストリングスのみを残したような演奏が出てくるのはこの頃である。そんな中から何曲かピックアップしてみる。
 
 
 
事例研究1 君が、嘘をついた オフコース 小田和正作曲 1984年4月21日発売
 2番の後のギターをフィーチャーした間奏のあと、テンションを落とした演奏によるCメロが入る。メロディー的には極端に他と変わりは無い。この後、サビを繰り返して終わる。

 
事例研究2 恋の予感 安全地帯 玉置浩二作曲 1984年10月25日発売
 2番のサビの後の間奏のあと、リズムセクションを抑えたCodaCメロが入るが、その後半からサビにつながるようにリズムを取り戻していく、現在に多用されている手法を使っている。

 
事例研究3 スターダスト・メモリー 小泉今日子 高見沢俊彦作曲 1984年12月21日発売
 サビから始まる形式で1番はサビ→Aメロ→サビ、2番Aメロ→サビのあとにギターソロの間奏があり、そのあとCメロが登場する。この曲ではCメロのアレンジが明らかにビートを抑えた感じになっている。そのあとサビを2回繰り返す。

 
 
事例研究4 二人の夏物語 杉山清貴とオメガトライブ 林哲司作曲 1985年3月6日発売
 1番はAメロ→Bメロ→サビの基本的なパターンで、2番もAメロ→Bメロ→サビのあとにこの曲も抑えたサウンドのギターソロの間奏がありそのあとCメロが登場し、サビで締めくくる。

   
1985年以降の形式
  曲全体で見ると、1番→間奏→2番→間奏→サビを繰り返しという型が多い。ほとんどがこの形式であり、やはり画一化が進んでいる。
  また、2番と2番サビ繰り返しの間に割合とまとまった間奏があるものがある。これは上記の1985年頃出現したCoda部分のあるケースの簡略化したものと考えれれる。
  ついでこのCodaCメロのあるものが多い。

 このように1985年以後やはり画一化がすすんだ曲全体の構成であるが、やはり微妙に流行り廃りがある。最近の特徴的な例を見てみよう。

2004年 最後がAメロ、Bメロで終わる曲が若干増えた
  2004年春になって上記の最後に静かにサビを繰り返して終わるパターンから派生して、静かにAメロ、Bメロで終わるパターンが出てきた。スピッツのスターゲイザーあたりから始まり、浜崎あゆみMomentsがAメロ終わり、宇多田ヒカルの誰かの願いが叶うころがBメロ終わり、稲葉浩志のWonderlandのAメロ(派生)終わり等がある。

2009年 CodaCメロの曲の比率が多い

漸増していたCodaCメロありの曲であるが、特に2009年に増えている。しかしながらその中身を見るとインパクトのあるCodaCメロはむしろ少なくなり、リズムやメロディーもサビとさほど変わらないような形でのCodaCメロが増えてきている。その代わりと言っていいのかその後のサビの繰り返し部分で静かな形にして抑揚をつけたりするようになっている。 
 

 
2008−9年 似て非なるAメロの曲の出てきた

ずっと続いてきたメロディー重視の傾向が90年代にリズム重視に変わって、メロディーの風潮がどんどん強まっていたが、2008年になりこの傾向に加えて、同じコード上に異なるメロディーで何回も繰り返すような曲が出てきた。まさにメロディーはどうでも良いというような傾向である。代表的な曲を上げると

2008年だと

NEWSのHappy Birthday

2009年だと

EXILEのFIREWORKS

東方神起のBorelo

倖田來未×misonoのIt’s all Love!

のようになる。


この傾向はKPOPの曲が多かったが、一般化して中にはAメロ、Bメロ、サビ全て同じコード進行で似て非なるメロディの曲の出てきた
2011年 マキシマム ザ ホルモン 鬱くしき人々のうた
      Hey!Say!JUMP 「ありがとう」〜世界のどこにいても〜
2012年 AKB48 UZA (Aメロ、Bメロ、サビ同じコード進行)
      KAT-TUN TO THE LIMIT 
      SHINee Dazzling Girl(Aメロ、Bメロ、サビ同じコード進行)
      嵐 FACE DOWN
      EXILE ALL NIGHT LONG  


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